仁王さんに、顔つきは激しいけれど、よく見てみれば「苦虫を噛んだ」ような表情のお方に出会うことがある。
どんな「苦虫を噛んだ」のかはわからないにしても、ただ憤怒しているのではなく、内面の複雑なものを顔に出しているようで、興味深いときがある。
仁王さんの顔のモデルは人間で、顔は怖いけれど根は正直で、やってる仕事は肉体労働で荒々しいけれど、実に女性的な隅々のことにまで気が届く、そういう「おっちゃん」が居てくれた。
おっちゃんたちが結婚して暮らしはじめた頃、私はよく家に呼んでもらった。生まれたばかりの赤ちゃんが死んだ時も、母親がご飯を食べに行ってこいと言った。
お姉ちゃんは疲れていて、三人で晩ご飯を食べている時に、小さな蛾のような蝶々が飛んで来た。
「〇〇ちゃんやろうか?」と、その蝶々が死んだ赤ちゃんの生まれ代わりかのように、お姉ちゃんは言った。
おっちゃんは「そんなことがあるかい」と言ったが、その言葉はウツを患いかけていたお姉ちゃんに対しての、あの時の精一杯の言い方だったと思う。
お姉ちゃんは本当に病気になり、この町からだいぶ離れた隔離病院に措置された。病名は結核だった。
その病院には電車では行けなかった。バスはあったが、この町から直通のものではなかったし、たいへんに不便なところにあった。結核はうつると言うので、私は見舞いに行ったことはなかったが、手紙を一通だけ書いたことがある。
結核という病気に対する当時の人たちの捉え方には、まだまだ絶望に近い暗いものがあり、おっちゃんは新婚早々から背負いきれないような重い感情と共に生きることになった。
おっちゃんはラーメン大好き人間で、私に病院にジープで行く道中に、うまいラーメン屋があった話しをしてくれた。
自分が「ラオチュウの兄ちゃん」と呼ばれたこと、必ず、ラーメンをすする前に一杯のラオチュウを呑むことを話した。
そこのラーメン屋は、京都発祥の有名店の走りで、焼き豚の厚さが評判であった。
私が青年になり、私の祖母のお通夜に、「ラーメン食べに行こか」と大津まで車を飛ばしてくれた。おっちゃんは私がお祖母さん子だったこと、自分のお気に入りの店に連れて行きたいことがあって、500円のラーメンを食べる為に高速道路を約一時間かけても平気だった。
すっかり病気から回復して元気の戻ったお姉ちゃんに、「500円のラーメン食べる為に、その倍の高速代を使って行くか?」と後で笑われた。
しかし、私には、この粋なおっちゃんのやり方が、とても優しく男らしいことのように感じられた。ジープのドアの隙間から、冷たい風がビュンビュン吹いて、とても印象的な出来事になった。
おっちゃんは、自分で重機いっさいを運転できる人で、自宅の塀や畑、庭のアーチや離れの小屋をコツコツと作れる男だった。
「兄弟」の中でおっちゃんの家が一番手入れが行き届き、植木から花にいたるまでみんな、おっちゃんは手間を惜しまずすべて育てた。
おっちゃんは二年前に亡くなったが、地域の活動にも積極的に関わり、後で聞いた話しでは、みんなが憩える場を造る為に、例によって得意な重機を駆使して、小さな「私設公園」まで作ってしまった。そこには花をたくさん植えたらしい。
また、おっちゃんの家の東側の小さ目の庭には、北山杉が植えられ、私たちも何度かこの杉のオーナーのキャンプ場に遊びにも行ったことがあった。
誰もが綺麗だ美しいと認めるおっちゃんの家は、とりもなおさずこの人が、美しく生きた証に違いない。
生業の仕事でおっちゃんは、仁王さんのような表情であったけれど、花とは無縁の荒々しい仕事ではあったけれど、美に対する情熱のかけ方は群を抜いた見事な仕事ぶりだった。
キャデラックやハーレーを転がして来たおっちゃんの実の兄貴も、逸話の多い愛すべき男であった。もう一人の親方の義理の「兄貴」も、おっちゃんの家に来ると「わしは落ち着く」と何度も言った。仁王さんの親方たちが、おっちゃんの「仕事ぶり」を誉めたのだ。
おっちゃんの葬儀にはたくさんのご近所さんたちが集まってくれた。
最後まで親友だったのは、自治連合会長だった、おっちゃんとは「対極」に生きた学者肌の人だった。
その人が大泣きしてくれた。
正直な実行力ある責任感の強い人だと、最大の賛辞で送ってくれた。
私も、そう想って送った。
今、畑をはじめようとしていて、正直、おっちゃんが居てくれたらなあ、と思う。
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昔、よくお寺に行きましたが、仁王さん、怖いと思ったことは一度もありませんよ。
「怖いと感じたことがない」とは、やっぱり私とは正反対の子供だったのですね。私なんか悪い子供だったから、自分の心の中を覗かれているようで、いつも「あっ!怒ったはるわ」でした(笑)。
今日も息子に、我が家の風ちゃんの写真メールを送ったら、「怒ってんのか?」「いや、これが普通の顔やで」とメールしてたところでした。そう「見える」だけですよね。
でも、現実を見る目と同じで、「そういうもの」だと認知してしまっています。「そういうもの」だと認知するものは、実に私たちには多くあります。
写真でも何でもそうですが、一方的にみてるわけじゃなく、必ずみる人とみられる人が同時にあるからなんです。写真撮ってると一層はっきりしてきます。だから怖いと感じたときは見る人になんらかの要因があるのだと思います。そういう意味では世界は天国にも地獄にもみえますよね。
友人であるグラフィックデザイナーが写真が非常に上手く、彼が言うには同じ被写体を撮ってもカメラマンによって全然変わるのは、カメラマンの見ているイメージが写真に写るといってました。たとえば女性を撮ったとき、きれいに撮れるのはそうみてることであり、かわいく撮れるのは可愛くみてることであり、いやらしく撮れるのはそう見てるからだと言ってました。
もし風ちゃんが怒ってるようにみえたなら、龍さんか息子さんの中にそういう感情があるのかも知れないです。写真みてないので何ともいえませんが。
私の小さな頃には親たちは平気で、「悪いことしてたらコトリ(子供を誘拐する悪い人)にさらわれる」と言いました。恐怖を植え付けて、子供を言うことをきかせようとしました。
前も私が記事で「怒った顔の人が多い」と書いた時に、まゆみさんは「私はそういう人をあまり見たことはありません」とコメントをいただきました。
つまり、色の濃度に例えれば、私たちは「濃い」方に居て、その濃さがいわば当たり前になっているんです。食べ物でも濃い味を平気で食べる、それでなければ食べた気がしない、そういうことだと思います。
穏やかな場所ではなく、常に緊張することが生活面で当たり前になっているとき、よく怒られるような場に居ると、すぐに他人の顔色を見てしまうんです。
しかし、見てはいるけれど、実はよくは見ていない。
瞬時に判断しているけれど、実はよくは見ていないんです。だから、見誤るわけです。
もっと言うと、敵か味方かの判断はすぐにやる。けれど、その判断が正しいわけじゃない。けど、必要だから判断は速くやらないといけない。
これを例えると、学校の中のクラスです。
常に、どこか、人より速く判断した方がよいという空気が蔓延している。
理由は、被害を自分が受けたくないからです。
速く判断してしまうという意識の癖は、歪んだ現実を受け入れてしまうことにつながります。表面的にしか見ていないからです。
「濃い」場所に居ると、こういう「意識の癖」がわかります。だから、癖は早く治さなければなりません。
息子に写真メールを送りました。息子のメール
「怒ってんの?」
いつもの一行メールです。私が、
「猫はこんな顔。これは普通にしている時の顔。」
「猫を見る人の心がそう見せている」
「心して世間を観るべし」
息子の返事メールは、
「なるほど、手にしたものをよく見れば〜♪ってやつやな〜」
でした。(笑)
まゆみさん、ありがとうございます。